こんにちは!
桧田真理子です。
2月から嵐の中を進むような毎日が続きました。
息子の中学受験があり、夫の転勤が決まり、新しい家を探し、引っ越しして、
新しい家と、新しい学校と、新しい職場での活動がスタートしました。
今、嵐の大海原の中を抜けて、
やっと穏やかで小さな島に漂着したような気分です(笑)
新たなスタートを切って数日、
このコラムに意識を向けて
改めてふと心に浮かんだ言葉が、
子どもを「信じて見守る」でした。
気がつけばこの3年間ほど、
いつもこの言葉が
傍にあったように感じます。
息子が塾通いを始めて間もない頃、
勉強って?
テストって?
復習って?
見直しってー?
という彼に、
一から全てを伝えながら、
そもそも勉強って
自分で主体的に取り組むものでしょ?
こんなにあれもこれも指示して
管理しなくちゃいけないなんて
何だかおかしいー!!
と右往左往して葛藤していた頃、
「親としての立ち位置ってなんだろう」と
疑問を持ち始めた頃、
職場の先輩ママから
親の立ち位置としての理想は
「信じて見守る」よね。
とアドバイスとしてもらった言葉。
それは、ここ数年の子どもとの関わりを支えてくれる
杖のような言葉だったよなと思います。
先輩ママが
理想だと言ったように、
子どものすべてを信じて見守る
素敵なお母さんになろうと思って
すぐに変身できるわけではありません。
むしろ
何か迷った時、
時に失敗した時、
この言葉を思い出して
信じて見守る立ち位置ならば
どんな言動だっただろうと
考えてみたり、
振り返りをすることで、
声かけの変化が生まれたり、
新しい関わり方を閃いたり
違う自分に出会うことの
きっかけをもらったような感じです。
これまでの習慣からくる
反射的、突発的な言動を
自分が描く、”なりたい形”に
作り直していく作業でもありました。
一歩も歩けない〜と
地面にしゃがみたくなる時、
この杖を頼りに何とか立ち上がれるような。
その作業の繰り返すうち、
信じて見守るで大丈夫なんだな、という
本当の意味での確信が内側に積み重なって、
言葉だけではない、私なりの
信じて見守る形が
できあがってきました。
子供との関係性は
きっと
成長の段階によって
その時その時、
変化していくものだけど、
これからも
信じて見守るという言葉を
心に置き続けたいと思います。
それは確かに
自分自身を信じる感覚にも
繋がっているようです。
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