こんにちは!桧田真理子です。
コロナの影響で在宅ワークなどの時間が増えて、
夫も息子も家にいるようになり、
朝、昼、夕と家で食事を作る機会が増えました。
ちょうど今日も、昼食を作りながら、ふと思ったこと。
それは、
「私は、盛り付けをするのに苦手意識がある」ということでした。
この感覚は、いつ頃から持ち始めたのでしょうか。だいぶ昔からあるもののようです。
新米主婦の頃、料理教室に通って、そこで教わった料理の盛り付けを真似することで、
なんとか、ギリギリ、”様になった”と安心する程でした。
苦手意識があると、その工程に意識を向けないようにして、「適当に」「パッツパと」終わらせてしまうのでした。そこには、創意工夫や感性を働かせるなんて、もちろんありません。
けれども、不自由はないし、これでいいと思っていたけれど、反面どこかで引っかかっているものもありました。
そう、
なんだか「つまらない」のです。
これは料理の盛り付けに限ったことではありません。
家のインテリアや、洋服のコーディネートだって、みんなおんなじでした。無難が一番・笑
その根底にあるものは「苦手意識」と「なんだかつまらない」という感覚なのです。
今日、盛り付けをしながら、そこには「美しく盛らなくてはいけない」とか「正解でなければいけない」とか、自分をありのままに表現することを猛烈にセーブする”思い”が「ど〜ん」と横たわっていることに気がづいたのでした。
そしてどうやら今日は、その思いを
手放す記念日。
「自分が綺麗だな、楽しいな、と思うように、盛りつければいいじゃん。」と切り替わった時、
今日の昼食の盛り付けは、今までにないようなオリジナルの形に生まれ変わりました・笑
「私にはこんな盛り付けができるんだ」と。
そして、なんとも言えない楽しさと充実感を味わったのです。
もちろん、美味しく盛り付けるコツとか、綺麗に見せるポイントとか、学ぶことでより素敵になることもあるでしょう。
でも、そこにプラスして、「ありのままの自分を表現する」楽しさがあったら、世界で一つだけの個性的な毎日を彩るエッセンスが生み出されていきます。表現することは、喜びなんだと実感したできごとでした。
「ありのままの自分を表現していい」というのは
「ありのままの自分で価値がある」と思えること。
それは、自己肯定感とも言えます。
幼児教室でいつも一緒に遊んでいる子どもたちは創作の時間になると、
生きている鼓動を、そのままに写し取っているかのようです。
言葉になる以前の躍動から生まれる作品は、どれも個性的で、それも素敵だなといつも思います。
ありのままに表現するとはこういうことなのか、と教えてくれるようです。
そんな彼らからの刺激のおかげで、私は、いつの間にか
「ありのままでいいんじゃないか」という立ち位置に、移行してしまったのかもしれません。
波打つ何かが、私の心の中に、もちろん誰の心の中にも、同じように存在しているのです。
実は時々、
迷いかけた子も見かけます。
創造の時間になると、いつもソワソワして周りのお友達の作品を見たり、適当に済ませて終わってしまうのです。
「あなたの気持ち、すごくよくわかる」
きっと私と同じように「上手にかけなくてはいけない」「失敗してはいけない」「正解出ないといけない」と思い始めてしまったのでしょう。
ちょっと大人な子どもなのです。
もしかしたら、成長の過程なのかもしれません。誰もが通るプロセスなのかもしれません。
そんな時は、
「へ〜青で塗ってみたんだ」「わ〜たくさんの色を重ねたんだね」と
いい悪いも言わず、アドバイスもせず、子どもの今のそのままを認めるようにしています。
そうやって受け止めてもらうことで、もし私が子どもだったら、
徐々に「やりたいように表現したらいいのかな」と思い始めるように思うからです。
こうした「ありのままを認めてもらう」経験をたくさん積み重ねていくことが
「ありのままの自分で十分価値がある」という自己肯定感の核をしっかりと根付かせるための肥料になると信じています。
自己肯定感は、変化の多い新しい時代をブレずに乗り越えていくために必須のパスポート。
だから、周りにいる大人は子どもたちの心へ肥料を沢山撒いていきたいものですね。
(私の場合はいつも子どもから頂いているから、時々そのお返しをしています。)
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