こんにちは。 うさぎや晶子です。
今月のテーマ、「親から受け継いだもの」
もう少し幅をもって見てみることにしようと思います。
私が小さい頃、農業をしている母方の祖母の家に、よく農作業を手伝いにいく母に連れられて行っていました。
静岡の田舎にある祖母の家はかつては11人家族が住んでいたこともあり、ちょっとした旅館のように広い家。鬼ごっこやかくれんぼにはうってつけの家でしたが、1か所だけ、子ども心に少し緊張する部屋がありました。
「仏さんの部屋」と呼ばれていた部屋で、大きな仏壇があり、その天井には先祖代々の遺影が飾られています。写真がない時代の精巧な似顔絵の人もいました。
従兄弟の中には絶対にその部屋には入れない子もいましたが、私は時々、その部屋に行って、天井の写真の人たちを見ることがありました。
会ったこともない、その生涯については大人たちの話で少しだけ知っただけ。それでも、何か遠くから自分につながっている何かを感じていたように思います。
「命のつながり」
そんな言葉になるでしょうか?
母は祖父母から、祖父母は祖祖父母から、またその前は・・・命のバトンはつながってきて、今、私がここにいる、そんなことを思っていたのでしょうか?
既に他界していますが、大好きだった祖母は自分の生涯の話をしてくれました。苦労の連続だったけど、今(当時)はそれなりの幸せな日々があること。その時代、その時代で色々な生涯があり、それは苦労一色でもなく、幸せ一色でもなく、時代の流れの中で翻弄されながらも、1つハッキリしていたのは、自分の子ども達にはより良いものを与えたい、そんな思いだったように思います。
そして、その思いは、子をもつ親となった人には共通の思いなんだろうと思います。
でも、今、人間の精神性が益々発展し、またそれが求められている時代に突入して、この「自分の子ども達にはより良いものを与えたい」という思いの実践の仕方が問われているように感じます。
これまでは、「より良い人生」は物質的に豊かであることが前提だった。
良い学校に入り、良い会社に入り、家庭を持って幸せに暮らすこと。
子ども達は競争社会の中で、切磋琢磨して上を目指すことが求められてきた。
そして、その根底には不足感。足りないものを補うために、もっと学んで、もっと稼いで、もっと、もっと・・・。
そんな社会、学校、家庭の環境の中で、子ども達は、親たちも、何か違和感を感じる人が増えてきているように感じます。
私たち、実は、生まれてきた時点で完璧なのではないか?
既に、多くのことを持って生まれてきているのではないか?
子ども時代には開いた感性で、多くのことを感じ取り、豊かなのではないか?
本当はその感性をそのまま持ち続けることができたら、大人になっても、愛・平和・一致の感覚を持ち続けることができるのではないか?
でも、古い観念や思いから、子どもたちがありのままでいることに「不足」を感じることに慣れてしまっている大人たちが、そのかすかな違和感を見過ごしてしまっているように感じます。
だから、子ども達のためを思ったら、私たち大人が、これまで常識とされてきたこと、
良いとされてきたことに囚われず、
自分の中に生まれた、かすかな違和感を大切に、
自分がありのままでいられたら、どんな風に感じるのか? どんなことを望むのか?
思い出すことに勇気をもちたいと思っています。
親から受け継いだこと、そのまた上の世代から受け継いできたことを、
私たちは転換させて、昇華させる時代に、大人でいる人生を生きているのではないかと感じています。
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