~親から受け継いだもの~人生の断捨離に役立ててみる

今月のこのテーマは、とても考えさせられます。

それは、自分が自分であることの一部になっている部分のことだからです。


私という人間がこの世に生まれてくる前から、既に受け継いでいるものはあるだろうし、

この世に生まれてから、環境や教育によって与えられたり、学習したことも含まれると思います。


どちらにせよ、顕在意識で記憶の一部として認識しているというよりは、潜在意識の領域の中で、少しずつ、または大胆に自分の中に蓄積されたこと、とも表現できるでしょうか?


身体的にも精神的にも真っ白だったところに、一番近い存在だった親が与えてくれるもの。

与えてくれるものに、善い、悪いはなくて、

親となった人が、自分の元にやってきた小さい存在にしてあげたこと、してあげなかったこと、すべては受け継がれてきたのではないかと、思うのです。


そして、ひと昔前までは、この潜在的な受け継ぎは、疑問視されることが少なく、「こういうもの」としての社会認識が強かったのでは?と思います。


それが、現代では、善いものであれば受け継ぐし、不要なものと判断すれば、自分の代で断ち切る、そんな意識をもった人が増えているような気がします。それが、自分らしく生きる、とか、ありのままの自分で生きる、というような表現になっていることにつながっているように思います。

それは、もしかすると情報化社会の賜物なのかもしれません。ネット社会では外の世界のことを誰もが簡単に知ることができます。だから、自分が経験していることが、「当たり前」で繰り返されるのでなく、とにかく、外の情報を得やすい環境が整ってきたのです。納得できれば、それは取り入れればよいし、納得いかなければ、それに抗うのもよし。情報化社会になることで、私たちには選択の幅が出てきたのです。


私は小さい頃から「みんなやっているんだから、あなたもそうしなさい」という”オトナの表現″に対して嫌悪感を持っていたことを思い出しました。大人がみんな我慢して言わないようにしていること、本当はそう思っていなくても、他人の目を気にして、合わせてしまう態度、そういうところが納得いかず、モヤモヤ。みんなって誰?なぜなら、その「みんな」って例えば母親の場合、自分の姉妹、隣のおばさんくらいまでの範囲でしたし。(笑)


それでも、「そういうものなんだ」という考えを受入れて生きてくることで、社会に馴染むことができたメリットは否めません。ガッチリと他人軸で生きることをしっかりと生きて見せてくれた両親(特に母親)のもとで、私らしさも出しながら、自分の生き方を模索していたように思います。


子育てをしていると、自分の鏡を見せられていると感じることがあります。

自分が嫌だと感じていた親の言動を、無意識で子どもに対してしていて、子どもが、子どもだった自分が発した言葉を自分に言ってくる、そんな場面はいくらでもあります。


内心ビクッとしますが、瞬間に出てくるのは「そんなはずがない!」

でも、これを繰り返しているうちは、事象の改善は見込めません。

指摘を受けたら「だよね~」と、全面降伏です。


だって、無意識だから仕方ない。でも、そこで受け入れて、私はどうしたいのか? と選び直すことができるようになってくると、親子関係の負の連鎖は案外力まなくても立ち消えていくのかもしれません。


親から受け継いだものについて一度じっくり考えてみるのは、人生の棚卸をする感じで、人生の断捨離をする上でもよい機会かもしれません。























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