こんにちは!桧田真理子です。
「親から受け継いだもの」今月のテーマを考える中で、親というのは子どもの人生にとって必要な環境の一部なんだろうなということを感じています。
「なぜ私はこの環境に生まれたんだろう」
考えてみれば、なんだか不思議な気がしますね。
都会のお金持ちのおうちに生まれたかったとか、
海の近くのおうちに生まれたかったとか、
専業主婦のお母さんのうちに生まれたかったとか・・・
もしかしたら、小さい頃ふとそんなことを思ったことがあるかもしれません。
個性や能力など、それぞれが持ったものは確かにあるはずだけれど、
出会う人や物、ものの見方や考え方、価値観などは、育った”環境”に大きく左右されます。
生まれ持った性質に、生まれた後の環境が掛け合わさって、一人の人生シナリオが作られていきます。
もし私が、都会のお金持ちの家に生まれていたら、
どんな人物が出来上がっていたんだろうと想像すると、少し笑えます。
私であることには変わりないのに、全く別の人生を歩んでいたことでしょう。
人生を作り上げるために、大きな影響となる「生まれた環境」。
生まれ出る環境を
”偶然”とすることもできるし”選択した”と捉えることもできます。
確かに、親も含め生まれてきた時から全ての環境は決まっているように感じます。
物心ついた頃から、その場に置かれ、動かしようもない、宿命とも言えます。
一方で、ある親の元に生まれてくるということは、どれほどの偶然が重なっていることでしょうか。
生まれる場所、時間、人・・・。キリがないほどに、一つ一つの微細なパーツが重なり合っていることに気づきます。
それはあたかも、人生を作り出すための環境があらかじめ細かく設定されているようです。
海のない山に囲まれた土地に生まれたことも、父が母子家庭だったことも、両親が共働きだったことも・・・
あらゆる条件が必要なものだったと認め、全て設定してこの世にきたと捉えるならば、自分自身を肯定することにも繋がるように感じます。
なぜ私はこの環境に生まれてきたのか?この親の子になったのか・・・。
そこで何を経験したかったのか?何を学びたかったのか?何と出会いたかったのか?
自ら振り返ってみていくことは、人生の本来の目的を知るための大きな手がかりになるかもしれません。
その中で、親という存在は選択した環境の一部に過ぎないのかもしれないけれど、一番見えやすく分かりやすい存在とも言えます。
親の「いいな」というところも似ているけれど、実は同じぐらい「嫌だな」というところも似ていたりするものです。
そして、親と同じように、どんな子どもが生まれてくるかも一見、選べないように思うけれど、
「初めまして」の誕生から、毎日の深い関係を築いていく時、
お互いにとって何かしらの必然があって親子として生きているのだと感じることがあります。
自分の「いいな」というところも似ているけれど、同じように「嫌だな」というところも見せてくれます。
親と自分がそうであるように
自分と子もまた、合わせ鏡のようにありのままを映し出してくれる存在。
そこには、自分を知るためのヒントが用意してあるはずです。
普段、きちんと見つめずにスルーしてしまいがちなテーマでもあるけれど、
一度立ち止まって、きちんと見つめる時間にしていこうと思います。
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