絵本の代わりにあったものは?

うさぎや晶子です。


今月は子どもと絵本をテーマのコラムを書いています。

響き合う子育てラボをこれまで運営してこられた、桧田真理子さんの絵本にまつわるコラムは本当に素敵! 小さい頃に親御さんがたくさん絵本を読んで下さったそうで、ご自分が子育てされてきた中でも、絵本の読み聞かせを大切にしてこられた体験をコラムにもつづってくれています。


一方、私の場合には、本や活字があまり好きではなく、田舎育ちで、専業農家だった祖母の家にいる時間が長く、大人たちが農作業をしている間は、畑や川、山でたまにお手伝いをしながら、あとは、自分たちで想像した遊びを楽しんでいたようです。


本当は絵本について、もっと豊かなシェアを展開できたら良いのですが、このコラムを読んで下さる方の中に、もしかしたら、私みたいな方もいるかもしれない、と勇気を出して、そのままの自分の体験を書いてみようと思います。


思い返しても、両親が絵本を読んでくれた記憶はあまりありません。

そして、今となっては、絵本の読み聞かせは子ども達にとって情緒の発達、言葉の習得、親の愛情を受ける形として、など、本当に子ども達にとって大切なことばかりと納得いっていますが、長男を出産した頃には、自分の中にないものだったのか? 子どもに絵本を読んであげよう、という気持ちがほとんどなかったように思います。


それが、5歳の長男を筆頭にニューヨークに滞在した頃に、遅まきながら絵本との出会いを頂いたお話は既に書いたとおりです。


そこで、今回は、絵本との関わりが薄かったことについて、もう少し掘り下げてみようと思いました。


そんな私が、いま、ブログ、メルマガ、Facebook投稿など、文章を書くことが多くなってきました。

自分では文章を書くのが下手すぎて、穴があったら入りたいくらいの記事でも、書いてみたものは掲載してみるという基準で掲載し続けていると、とても共感した、とか、感動したとか、ありがたいフィードバックを頂くことがあります。自分としてはここがいまだ謎の部分ではあります。


なぜだろう?


小さい頃、私の周りには豊富な自然があり、おしゃべりな大人達がいて、子どもの自由研究を自分事のように一生懸命に一字一句の文章を一緒に考えてくれる母親がいました。(それが嫌でたまらなく、夏休みの憂鬱な出来事として記憶していました)

あの時は、母に言われたとおり文章を書くのが嫌なのに、自分では何も浮かばず、仕方なく、悔しくて、情けなくて、泣きながら自由研究の文章を書いていた場面が思い出されました。

あんなに嫌なことだったのに・・・。


でも、本を読まない私が文章を書けたのは、毎年行われたいた、母との共同作の夏の自由研究があったからかもしれない・・・と思い至りました。


絵本のよみきかをすることのメリットの中に、お母さんと一緒にいる時間を創れるという点がありました。私の場合には、普段は忙しい母に絵本を読んでもらう代わりに、毎年の夏の自由研究での時間が(私としてはつらい感覚でしたが)、その後の私の中の言葉を培っていく基礎を作ってくれていたのかもしれません。


そうか。

優しく、大事に、心地よく接してもらうのも愛だし、

厳しく、不器用に、時に押し付けがましく感じても、それも愛なんだ。

両者とも、子どものためにという親の心からの愛し方。

だから、時間はかかることもあるけれど、子どもの中では、与えてもらったものは育ち、その子にとってギフトとなる。


そんな風に思えました。


それでも、やっぱりその愛を受けることになる子どもの側になってみると

優しく、心地よく接してもらう方が、身体も心も緩みます。


子ども達が小さいとき、絵本の読み聞かせという時間は、親も子どもも身体も心もリラックスして、ゆるむ時間です。 私が遅まきながら、子ども達に読み聞かせをはじめて、一番喜んでいたのは、母親の自分だったなぁと思います。


お母さんがゆるんで、心が穏やかでいられる時間は、子ども達にとってはやっぱり最高の時間になるのだろうと思います。


なので、小さいお子さんがいらっしゃる忙しいママさん、パパさんにはぜひ、お膝にお子さんをのせて、一緒に寝転がって、絵本を読む時間をぜひぜひとって頂きたいと思います!




















響き合う子育てラボ Resonance Parenting Labo

子どもも大人もその人らしく輝く、子育てにまつわる「大人のあり方」を軸に皆さんと考えてくためのラボです。メンバーのトークや、ゲストを呼んでの対談などを配信します。

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