〜ラボのはじまりストーリー〜子どもの自由を認めた時

こんにちは!桧田真理子です。

前回お話しした通り、お産を通していのちの力強さを体感した私は「子どもの持っている力を自然なままに大切に伸ばしたい」と、小さく心の中で決意しました。


前回のコラムはこちら(いのちの力を感じた時)


とはいうものの、実際「子どもの力を自然のままに伸ばす」とはどういうことなのか・・・正直よく分かりませんでした。通りすがりに「自然に生きる」と書かれたパンフレットを見つけて、オーガニック食品店に行き(笑)そこで知った自然食や自然療法の教室に通ったり。手探りに模索していたように思います。


そんな日々を過ごす中で、2011年3月東日本大震災がおきます。東京でも大きな揺れを感じ、街は大混乱。放射性物質の心配などもありました。

ショックな出来事は心の奥深くまでも揺さぶるのでしょうか。その時、「もっと深い部分から納得感を持って本気で生きていきたい」という思いが、ドオーっと溢れてきました。その思いから始めたのが心理学です。以前から興味はあったものの、しっかりと学ぼうと思ったのはこの時でした。


早速、学生の頃に少しお世話になった先生に連絡を取り、月に1回のペースで、2年ほどお世話になりました。先生からは、私たちは成長するまでに作られたそれぞれのフィルターのようなものを通して世の中を見てしまっているということ。その多くは両親から受け継いでいるということ。また感情はそのフィルターとなっているものを知り手放すための手がかりであり、自分の本音に近づくためのメッセンジャーであることなどを学びました。


学びの過程で先生が「今日は特に大事な部分」とおっしゃった内容がありました。

それが、自分自身の選択の自由と責任を認めると同時に、相手の自由と責任も認めるという実感を持つということ。


お互いが依存ではなく、自立した関係を築いていくために大切な基準であり、お互いの意思を育てるために必要な立ち位置でもありました。


「なるほど〜そうか。私は普段どんな意識で過ごしているかな」 


その内容を教わった帰り道、選択の自由と責任を実験する絶好のチャンスが訪れました。

何が原因だったか忘れてしまいましたが、とにかく息子が泣きじゃくり、道路に座り込み、全く帰れなくて途方に暮れるという場面に出くわしたのです。

何を言っても聞かない頑固さは、今でも変わりません(笑)


困り果てた私は「あの手があった!」と思い出し、「息子にもこうして泣きじゃくり、道路に座り込みたい自由がある」ということを認めてみることにしました。

するとどうでしょう、これまで「も〜何とかしてよ!!」と困惑していた気持ちが静かに収まり、「あ〜泣きたいんだね。そんな時もあるよね」と息子を受け止める感覚が出てきたのです。

その気持ちのままに、「たっくん、今泣きたいんだね、いやなんだね。」と自然に声をかけていました。

気持ちを受け止めてもらった息子はあっという間に落ち着いていきました。

子どもの自由と自分の自由。
それぞれを切り離して見てみること。

切り離して捉えることと
認め合うことは
一見矛盾しているように感じるけど、

この立ち位置に視点をおくと、
不思議なほど、お互いの心が通い合い、わかり合っている感覚が生まれました。

それは、1つの小さな成功体験でした。


当時、2歳を過ぎていた息子は、いわゆるイヤイヤ期の真っ盛り。そんな”あまのじゃく”な振る舞いにストレスが溜まっていたのだと思います。

知り合いに「イヤイヤがもう大変で・・・」という話をしながら、思わず涙が出ちゃうほどでした。


けれども、この選択の自由と責任の立ち位置を意識し始めてから、グーンと息子とのやりとりが楽になっていきました。


心理学を学べば学ぶほどに、子どもの感情や実感、意思を大切にしながら、子育てをしたいと思うようになりました。それは、子育てが楽になるだけでなく、子どものフィルターをなるべくクリアなものにして、子どもが力を自然に伸ばすのに大切なことのように感じられたのです。


”子どもの自由を認めた時”


それは、本当に大きな気づきであり、転換点であり、
そして、実は本当の意味で自分自身と向き合うためのスタートラインに立った瞬間でもありました。

続く〜

✳︎イベント✳︎
ありのままの子どもを認める子育てについてのお話会

響き合う子育てラボ Resonance Parenting Labo

子どもも大人もその人らしく輝く、子育てにまつわる「大人のあり方」を軸に皆さんと考えてくためのラボです。メンバーのトークや、ゲストを呼んでの対談などを配信します。

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