私には大学3年生(21歳)の息子を筆頭に、大学1年生(19歳)の娘、高校1年生(16歳)の娘がいますので、お母さんとしての人生21年目を歩んでいるところです。
この数え方は、かつて、子どもたちが小さい頃、いいお母さんであろうとして行き詰まりを感じていた頃、長子の息子が7歳ということは、私もお母さん年齢は7歳なんだ、まだまだわからないことだらけなのだから、失敗もする、と考えることができた時、ふっと全身の力が抜けてとても楽になった体験をして以来、何度も自分に語りかけていることです。
振り返ると、本当にたくさんの経験をさせてもらってきました。
高校2年生の春に、突然の卵巣腫瘍の発病で緊急手術をし、右の卵巣を摘出しました。以来、自分の中で子どもには恵まれないかもしれないという思い込みがあり、結婚を決める際には、相手(今の夫)にはそのことを打ち明けましたが、3人の姉がいる末っ子長男という立場でありながら、私を迎えいれてくれたのでした。
そんな背景のある結婚生活は夫の赴任先であるインドではじまり、そこで出会ったアーユルヴェーダの先生が私の病気は完治しているから、私たちが望めば妊娠できると言ってくれたことを今でも思い出します。インドの生活は想像以上に大変な毎日でしたが、その先生の予言は現実となり、息子の妊娠がわかった時には、言葉では言い表せないほどの喜びに包まれました。
そんな展開でしたので、私にとって子どもは、自分が産んだ子、というより、「天から預かった命なんだ」という思いが強くありました。
その後、2人目、3人目と娘に恵まれたわけですが、その思いは変わらずありました。
だから、子どもたちの中にある望みや、夢、こうしたい、ああしたいという思いには、常に耳を傾けてきました。それは、「待つこと」の連続だったように思います。
そして、たどたどしい彼らの言葉に、時に気づかされ、時に励まされ、時に衝撃を受けたりして。
彼らの祖父母世代からは、子どもの意見を聞きすぎる、などと批判を受けたこともあったけれど、今、大学生になった彼らが、自分の考えをもって、社会をもっとよくしたいとチャレンジ精神をもって進んでいる姿を見ると、嬉しく感じます。
一方で、高校生の末っ子は、自分がどうしたいのか?悩んでいます。でも、彼女はそこにいてくれるだけで、周囲の場が和む、あふれる愛のパワーを持っています。だから、何かになろうとしたり、何かを成し遂げようとしなくてもよく、ただ、自分が好きなこと、やってみたいことを大切にしてみることを伝えています。
子どもを望み、恵まれる人生もあり、
子どもを望んだとしても、違うことが使命だとわかる人生もあり、
子どもは苦手だと思っていたのに、恵まれる人生もあり、
パートナーや仲間と過ごす人生もある。
私の場合には、子どもを望んでいたけれど、それは叶わないかもしれない、と諦めていたら、授けて頂けた。
そして、子どもがいることで、感情がぶつかり合う日常の中で、感情によってもたらされる怒り、悲しみ、喜びなど、すべてを楽しみ、自分と向き合う時間と空間をもらってきたように思います。
子育てに一生懸命に向き合うほど、自分を責めてしまうことがあり、それが結果、子どもたちを追い詰めてしまうこともあります。私もそんなことも何度もありました。
自分と向き合うことは、自分を責めることではなくて、むしろ、自分を許して、認めてあげることでした。ダメダメな自分、ださい自分、かっこ悪い自分も受け入れることでした。
どんなことも必要で起こっていて、ネガティブなことさえも、すべて順調な流れ(人の成長)の中で体験していること、
そして、子どもも大人も一緒に響き合いながら、お互いを高め合うことができる、そんな親子関係がもてたら、そんな教育現場ができていったら、素敵だなぁと思います。
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