こんにちは!桧田真理子です。
今月最後は、親から受け継いだものの中で、子どもに何を伝えたいかについて考えてみました。
とはいえ、変化のスピードが急速な今、昔からのものの見方、考え方が足かせになることの方が多いような気もします。
「親から言われたこと」ではなく、子ども自身が自分の選択によって、人生をクリエイトしていくことが一番良い方法のようにも感じます。
では一体、何を伝えていくのかと考えた時、伝えていくというより、それはもう「生き様を見せていく」と言うことぐらいかもしれないと思いました。
私自身、親から受け継いだ生き方、または学校や社会で学んだ考え方をベースに人生を歩んできて、これまで既に沢山の失敗もしたし、上手くいったこともあったし・・・
とにかく様々な経験を積み重ねてきました。
今も、そうして生きている真っ最中です。
そんな中で最近感じるのは、私が私らしい人生を生きようとする時、
親から受け継いだものがはっきり浮き彫りになって、改めてその価値を受け取れたり、
逆に、そうなることで、自分に合うように微妙に変化し、新しいものになっていくんだな〜と言うこと。
それは、日々挑戦し、失敗して、学び、また変化するという、
生きてることの繰り返しで生まれてくる感覚です。
そうやって、受け取ってみたり、変化させてみたり、試行錯誤している親の姿を、”ありのままに”子どもに見せていくことが、結局は子どもに渡せる一番のものなのかもしれないと思うようになりました。
子どもにどんな人生を歩んでもらいたいかを必死で考えるよりも、
自分がどんな人生を歩んでいきたいのかにうーんと正直になって
受け継いだものもアップデートしながら、生きていくこと。
その姿が、「あなたも自由になっていい」というメッセージとして伝わることになると思います。
「生き様を見せる」
そんな風に言うと、実は自分でもなんだかちょっとドキリとします。
何を見られているのかと、ちょっと怖くなる感覚もあります。
自慢できる様な生き方も、誇れるものもない様な気がします。
でも実は、大人の等身大のストーリーが、案外子どもの心を掴むものです。
私の場合はときどき、
人生を歩む中で得た自分のストーリーを、子どもに話すことがあります。
例えば、誰かが書いたお話を読むのと同じような感覚で。
それは、失敗であり、不安であり、気づきであり、喜びであり、笑いであり・・・。
「事実は小説よりも奇なり」と言うことなのでしょうか。
息子はそうした、ありのままの、飾り気のない物語をとても興味を持って聞いてくれます。
実は、私自身も、いろんな人生のストーリーを聞くのが昔から好きでした。
昔話などのお話はいつだって、何かしらのメッセージが含まれているけれど、決して押し付けるところはなく、何を感じ、何を取り入れるかは、受け取る人の選択に委ねられている…。
そんな自由さがあると思います。
だからお話をするときは、親として教訓を教えると言うよりは、できる限り”昔ばなし風”に。
「むか〜し昔、ママが小学校6年生だった頃・・・」といった感じで・笑、まるで絵本を読み聞かせる様に話したりします。
絵本を読みながら、様々な世界を一緒に旅した様に、
私の過去の物語を子どもと一緒に旅をする様な感覚です。
うまくいったことも、失敗したことでも、物語として話していくことは、実は、私が私の歩みを受け止め、肯定していくことにつながっている様に感じます。
また、他の人の経験を旅し、そこから何かを学ぶ力は、確実に、子ども自身の人生をより豊かなものにしてくれると思います。
こうした人生の物語も、子どもに伝えられることかもしれませんね。
もちろん、無意識のレベルで「こうあるべき」と押し付けてしまったり、親から受け継いだネガティブなものそのままに振舞ってしまっている私もいます。それはそれでいい(笑)
気づいた時に意識しておくことは、自分が楽になっていくための秘訣だけど、完璧は求めていません。
子どもがそれらを受け継いだ時、また自分らしく変化させていけばいいんだと言うことを、堂々と見せていける様な姿でいようと、今はシンプルに思っています。
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